2012年1月28日 (土)

三国志に見る名言【虎を養うが如し。当に其の肉に…】

【虎を養(やしな)うが如(ごと)し。

当(まさ)に其(そ)の肉に飽(あ)かしむべし。

飽かずんば則(すなわ)ち人を噬(か)まん。】

将軍呂布(りょふ)の扱いには注意せねばならぬ。

虎を飼うようなもので

肉をたらふく与えておかなければならない。

そうでないと人にかみつく。

十分な領地を与えておかないと危険である

(曹操に言った太守陳登(ちんとう)の言葉)。

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呂布は三国志演義では

群を抜く武勇の人として描かれている。

しかし、丁原、董卓と仕えた主を殺したために、

最終的には曹操によって縛り首に処された。

三国志の著者である陳寿は

「歴史上、呂布のような人物が破滅しなかったためしはない」と

断言している。

陳登は25歳で東陽の県長となった。

老人や孤児に篤い統治を行い

民衆の崇敬を集める。

のちに劉備に仕えた時、

劉備は陳登のことを

「文武両道で、勇気と志を持っている」と評価し

陳登は劉備のことを

「傑出した雄姿を持ち、

王覇(王者と覇者)の才略を具えている」

と賞賛したという。

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筆者注:現在の国政を眺めていると

与党の中での派閥調整が顕著である。

何何派の誰それを幹事長にしたから

副××は○○派の誰謀だ、という有り様だ。

役職を与えておかなければ

面子がたたないのである。

「ごね得」なる言葉があるが

ごねることをアホらしいと

思っている人物が重用されるようでないと

この国に将来はない。

2012年1月25日 (水)

なぜだか家の中に…

Img278

最近、三国志付いている。

当ブログで

三国志に見る名言を

アップしているが

コミック、孔明本に続き

少年少女用の小説まで

出現した。

いずれも

自分で購入したものではない。

まるで何者かに

書かせられているような

気がしないでもない。

2012年1月24日 (火)

三国志に見る名言【臣死するの日、内に余帛あり、…】

【臣死するの日、内に余帛(よはく)あり、

外に嬴財(えいざい)ありて、

以(もっ)て陛下(へいか)に負(そむ)かしめず】

臣(諸葛亮)の死後

家の内外に余分な絹や財産を

残して陛下の恩に背くことはありません。

後帝に対して上奏した

諸葛亮の言葉。

原文「(諸葛亮曰、…)臣死之日、不使内有餘帛、

外有嬴財、以負陛下」

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諸葛亮は

八百株の桑の木と

やせ地とはいえ

十五頃(じゅうごけい=約90ha)の

田を持っていたとされる。

家族や身内たちが食べていく分には

充分であり

私腹を肥やすことを厳しく戒めていた。

死後、果たしてその通りであったという。

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筆者注:昔の人は

出処進退を明らかにし

晩節を汚すことを

恥としていた。

数億円の金を

秘書任せにして

動かす国会議員や

何度も天下りして

退職金をもらう役人たちに

諸葛亮の爪の垢を煎じて

呑ませてやりたいと思っている人は

少なくないだろう。

お詫び

ただいま

超急ぎの仕事を

抱えているため

ブログの更新ができません。

楽しみにしてくださっている方には

申し訳ありませんが

いましばらく

お待ちください。

2012年1月22日 (日)

移動中

移動中
純米吟醸玉乃光と あたりめをあてに 移動中。
それにしても
移動中の酒って
何でこんなに
旨いのだろう。

出張で前日入りの
時もそうだった。
しかも新幹線より
B特急?の方が
味がある。

景色も肴になるのだろう。

待合室にいます

待合室にいます
明日の仕事のため、前日入りをします。ただいまJR大阪駅の北陸線の待合室で時間待ち中。ここは椅子も冷暖房も完備しているためオススメです。

2012年1月20日 (金)

三国志に見る名言【時務を識る者は俊傑にあり】

【時務(じむ)を識(し)る者(もの)は俊傑(しゅんけつ)にあり】

今の時勢(世の中)において

なすべきことを見抜くことができるのは

よほどすぐれた者だけだ。

『脾肉の嘆(前出)』をかこっていたころ

当代の人物について問うた

劉備に対する

司馬徽(しばき)の答え。

原文「〈司馬徽曰〉、識時務者在俊傑。」

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司馬徽(しばき)は

水鏡先生と呼ばれ

多くの俊才(才能のすぐれた人物)から

頼りにされていた。

この言葉には続きがある。

「当地における

伏龍(ふくりゅう)、鳳雛(ほうすう)などは

それに値する

傑物(けつぶつ=ずば抜けてすぐれた人物)と言えよう」

それは誰かと劉備が問うと

「伏龍とは諸葛亮、字は孔明。

鳳雛とは龐統(ほうとう)、字を士元(しげん)と言う」

と答えたとされる。

のちに劉備は二人を軍師として迎えることになる。

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後漢の末に興った

魏、呉、蜀(蜀漢)、の三国において

もっとも弱小であった蜀が

他の大国と同等に覇権争いに加わることができたのも

この二人の軍師の才に追うところが大である。

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筆者注:豊臣秀吉の家臣であった

黒田孝高(よしたか=如水=官兵衛)は

秀吉の質問に対して

「天下で最も多きは人なり

最も少なきも人なり」

と答えたとされる。つまり

「人は多いが、心から尊敬し

認めるに足る人は少ない」

ということだ。

その点、劉備と諸葛亮、龐統らは、

お互いを認め合っていたようだ。

話は変わるが

先ごろ、東日本大震災における

原発事故において

収束宣言をした内閣の面々など

お世辞にも俊傑とは呼べないであろう。

2012年1月19日 (木)

三国志に見る名言【兵法は労に乗ず】

【兵法は(へいほう)は労(ろう)に乗(じょう)ず】

敵の疲れたところを狙うことが

最上の戦術である。

諸葛亮の

『後出師(ごすいし)の表(ひょう)』に

ある言葉。

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原文「兵法乗労」。

諸葛亮は

二二七年の『前出師の表』に次いで

翌二二八年にも

北伐に赴く際、

劉禅に出師の表を奉じた。

魏の曹休が呉との戦いに敗れ

疲弊していることを見越しての

発言であったとされる。

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筆者注:天才軍師だった

諸葛亮をして

相手の疲れに乗ずることが

最適な作戦であると

言わしめているところが

注目される。

突飛な作戦ばかりを

採っていたわけではなく

基本に忠実であってこそ

戦術が活きるのである。

なお、陳寿の著した『三国志』では

触れられていないため、

『後出師の表』自体を

後世の偽作とする見方もある。

「人の弱みに付け込む」ことは

ある意味、労に乗ずることかもしれない。

2012年1月18日 (水)

三国志に見る名言【臣の謹慎を知る】

【臣(しん)の謹慎(きんしん)を知る】

原文は

〈先帝〉知臣謹慎。

〈故臨崩寄臣以大事也〉。

先帝劉備は

臣(諸葛亮)の謹慎の性格を見抜き

崩御の前に臣を呼び

大事を託した。

『危急存亡の秋』と同じ

前出師(ぜんすいし)の表にある言葉。

謹慎とは慎み深いの意。

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臨終間際に

諸葛亮を呼び寄せた劉備は

「そなたの才能は

曹丕(そうひ)をはるかにしのぐ。

きっと国家を安泰に導き

漢王朝の再興も成し遂げてくれるだろう。

もし跡継ぎ(劉禅)が

補佐するに値する人物なら

盛り立ててやってほしい。

しかし、その器に非ずと判断したなら

そなたが帝位についてほしい」

と言い残したという。

これを聞いた諸葛亮は

「私はあくまでも臣下として力を注ぎ

誠の忠誠を捧げ

我が命に代えても

お守りする所存です」と

むせび泣きながら答えたとされる。

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筆者柱:真偽のほどは定かでないが

銀行や投資家筋には

『継承時には警鐘を鳴らせ』と言って

世代交代の話が出ている

中小企業には注意すべき

との不文律があるそうだ。

何らかの理由が

あるからと見られる。

ただ、大企業の現実は

もっと“奇なり”である。

一、個人的な借金の穴埋めに

   会社の資金を不正流用したK同PR社長

二、財テクに失敗、その穴埋めのために

   企業買収を水増ししたOリンパス

三、ギャンブル三昧の三代目会長への

   巨額不正融資が発覚したD王製紙

などの不祥事が

三面記事を賑わせ

当事者が退任させられたことは

記憶に新しい。

話がそれてしまったが

世襲制から免れられない

現代社会を眺めるにつけ

遥か一八〇〇年も前に

後顧の憂いを

諸葛亮に託した劉備の

清々しさが際立つのである。

2012年1月17日 (火)

三国志に見る名言【危急存亡の秋】

【危急存亡(ききゅうそんぼう)の秋(とき)】

いまこそは国家の緊急事態であり

滅亡するか否かの瀬戸際である。

蜀の諸葛亮が二二七年

出陣するにあたり

後主劉禅(りゅうぜん)※1に奉じた上表文※2にある言葉。

『出師(すいし)の表』※3として知られる。

※1劉備の息子。劉備の死後、蜀の第二代皇帝となる。

※2君主に奉る意見書およびその文章のこと

※3臣下が出陣に際して君主に献じる文章を指す。

 諸葛亮のそれは、先主劉備の遺徳を高めるよう

 進言した内容で忠臣の情にあふれた名文として名高い。

 そのため『出師の表』といえば、

 諸葛亮の『出師の表』を指すようになった。

 他に『後出師の表』(二二八年)がある。

  なお、出師とは出兵のこと。

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原文『危急存亡之秋也。』

「秋」と書いて「とき」と読ますのは

秋は穀物を収穫する時期であり

物事を達成するには

重用な時期であるため。

わざと強調させたと言われる。

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筆者注:二〇八年に劉備が荊州で

曹操に追われて敗走したとき

趙雲によって助けられた劉備の息子阿斗こそ

のちの劉禅である。

劉禅は暗愚の代名詞のように言われているが

諸葛亮の死後30年、

大きな混乱もなく蜀を維持させている。

ところで、現在の我が国であるが、

経済危機に加えて

地震や火山爆発のおそれ

放射能汚染などにより

『危急存亡の秋』を迎えていることは間違いない。

2012年1月16日 (月)

三国志に見る名言【治世の能臣、乱世の姦雄なり】

【治世(ちせい)の能臣(のうしん)、乱世の姦雄(かんゆう)なり】

平和でよく治まった世であれば

有能な臣として働くであろうが

乱世には奸知(かんち=悪知恵)を駆使して

暴れまわる英雄となるだろう

(月旦評で知られる

人物批評の許劭(きょしょう)が

魏の曹操を評した言葉)。

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後漢書許劭伝によると

後漢の許劭は毎月一日、

従兄たちと郷里の人々の人物論をして

楽しんだといわれる。

その影響力は大きく

ここでの評価が官職を

左右することもあったらしい。

この故事により

人物の批評をすることを

月旦もしくは月旦評と

いい表すようになった。

原文「〈許劭曰〉、治世能臣、亂世姦雄。」

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筆者注:新聞や雑誌などで

人物月旦を見なくなって久しい気がする。

それは取りも直さず

魅力的な人物が不在であることを

物語っている。

一時期の小沢一郎氏などは

姦雄をイメージさせたのだが…。

ところで

曹操は幾度も月旦を依頼したが

許劭がなかなか応えてくれないため

ついには脅かして

半ば強引に鑑定してもらったとする説がある。

こちらの方が曹操らしいが

あまりにでき過ぎの感を否めない。

ライバル?現る

ハンサムな白人で

サウスポーのQB

さらに敬虔なクリスチャンでもある

NFLのティーボウ選手。

神に祈りを捧げる

ポーズはティーボウイングと呼ばれ

彼の代名詞となっている。

所属するブロンコス(コロラド州)は

ディビジョナル・プレイオフで

ペイトリオッツに敗れてしまったが

今シーズンもっとも注目を浴びた

チームといっていいだろう。

彼はミニ聖書とも言われる

ヨハネの福音書3章16節が好きで

大学時代あるゲームで

アイ・ブラック(目の下につける日よけ)に

「john3 16」と書き込んだそうだ。

そのゲームで彼が獲得したパスヤード数は

316であったという。

2012年1月15日 (日)

誕生日現れる

Img270

後藤正治さんの

『スカウト』を再読していたら

桑田、清原がドラフトに

かかった時の話が出てきました。

この年のドラフトは

十一月二十日だったのですね。

2012年1月14日 (土)

津田恒美現る

今日、後藤正治さんの

『スカウト』を読んでいました。

すると、こんな一節が。

「ピッチャーはわがままものと

相場が決まっているんだが例外もある。

実に気のいい男だったね。

カープじゃ津田と双璧でしょうよ。

この二人(筆者注:池谷と津田)を

悪くいう奴にはお目にかかったことがない」

 津田恒美。一九八一(昭和五十六)年、

ドラフト一位で協和発酵よりカープに入団。

新人王になり、のち素晴らしい速球を投げる

リリーフエースともなった。

肘の故障で苦しむも見事カムバックして

最優秀救援投手にもなった。

一九九三年、脳腫瘍によって

三十二歳の短い生涯を閉じた。

津田さんの記事をアップした数時間後に

津田さんの文章を読む。楽しいねぇ。

【プロ野球】北別府氏、故津田氏らが殿堂入り

津田恒美さんが野球殿堂入り。

ぼくと同級生である。

同じ世代では

PL学園で夏の甲子園を制した

西田(広島)、木戸(阪神)の二人が有名だが

インパクトの強さでは

津田さんだろう。

あの剛速球

直球勝負へのこだわり

投げるほどスピードを増す急速

気迫がボールに乗りうつる

稀有な投手だった。

2012年1月13日 (金)

初ショック!

昨日のことである。

プールへ行き

1キロ泳いだ。

脱衣所に戻ると

人気がなかったため

恐る恐る体重計に乗った。

我が目を疑った。

そこには

いまだかつて見たこともない

数字が表示されていたのだ。

瞬間的に

「もう、ぐれちゃる!」

「水泳なんて止めちゃる!!」

と思うほどのショックを受けた

(なぜか広島弁)。

明日から一日一食ダイエットだ!

と思い寝たのだが

今朝もがっつり食べてしまった。

嗚呼。

2012年1月12日 (木)

茨木市との縁 その3

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きのう、茨木市へ行きました。

今月中に

あと数回来ることになりそうです。

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高校を卒業し

茨木市にある追手門学院大学に入学。

20歳から25歳にかけて

同市に住んでいました。

その後、大手印刷会社に勤務する

元同僚から声をかけてもらい

母校のパンフレットの制作を担当しました。

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数年前から、大学さんに

直接声をかけていただき

友人でデザイナーのM氏と共に

別の印刷物を担当させていただいています。

一昨年、昨年と茨木市で配布する

情報誌の取材で5.6回

さまざまな町内を巡りました。

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きのうMBS(毎日放送)の

『魔法のレストラン』という

番組を見ていました。

お笑いコンビのTKOと

安田美沙子さん、

それに中村玉緒さんが

阪急茨木市駅の近くのお店で

お好み焼きを食べるシーンが

放映されていました。

阪急茨木市に行ったそのに

阪急茨木市が映しだされる

どんな必然があるのでしょう。

2012年1月10日 (火)

今年も春から縁起がいい!?

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プールに向かう途中にある

阿倍野王子神社の碑。

大阪府下で王子(熊野神社の末社)は

ここだけ。

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さて、二谷英明さんの訃報を報じる

スポーツニッポン紙と

図書の返却を促す催促状(昨年来たもの)に

11月20日の日付が出現。

http://woochannel.blog.eonet.jp/miyamiya/2011/12/post-bd5e.html

http://woochannel.blog.eonet.jp/miyamiya/2011/12/post-2583.html

また、本日昼のNHKニュース(全国版)で

西宮戎神社の福男選びが

放映されていたが、

一番福を取った男性の顔に

見覚えがあった。

昨年、インタビューした

成美大学(京都府福知山市)の学生さんだった。

遅きに失した感があるが、

追手門学院大学アメリカンフットボール部の

コーチを務める高橋睦巳氏(一昨年取材)が

現役選手として所属するオービックシーガルズが

正月のライスボウルで2年連続優勝。

なんだかご縁のある人や学校に

福が来ている。

今年も春から縁起がいい!?

三国志に見る名言【七歩の詩】

【七歩(しちほ)の詩】

七歩歩く間に一詩を作るという早い作詩。

作詩の才に優れて、しかも早いことを指す。

魏の曹植(そうしょく)※1は

兄の文帝※2に作詩の才能を妬(ねた)まれ

七歩歩く間に詩を作らなければ

処罰すると迫られた。

そこで豆と豆驥(まめがら)を

兄弟に置き換えた

『七歩の詩』を作った。

※1 魏の人。魏の武帝曹操の第三子。文帝の弟。

文才すこぶる高く『曹子建集』を残す。

※2 魏の初代皇帝。曹操の長子で本名は曹丕(そうひ)。

   九品中正法を施行。文人としても優れていた。

======================

その内容は

『本是(もとこ)れ同根より生ず、

相煮るは何ぞ太(はなはな)だ急なる』である。

意味は、

「豆を煮るために、豆萁(まめがら)を燃やす。

豆も豆萁も同じ豆の根から生じたものなのに、

煮る煮られる間柄になるとは、

なんとひどいことではないか」。

兄弟同士が敵対することの

非を嘆いた詩句である。

原文「煮豆燃豆萁 豆在釜中泣 

本是同根生 相煮何太急」

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筆者注:二人の父親で三国志の主役ともいえる

曹操は、風流文学を好み、

30余年、兵馬の間にあっても一日も

読書を欠かさなかったと伝えられる。

息子たちもその血を継いでいたようで

曹植・文帝とも名言・著書を残している。

曹植は、逆境に遭遇してはじめてその人物の真価が分かる、

の語源となった「道遠くして驥(き=一日に千里走る名馬)を知る」を

文帝は、国を治めるうえでもっとも重要な仕事で、

永遠に朽ち果てることのない偉業は文章である、を意味する

「文章は経国の大業にして、不朽の成事なり」を残している。

だが、才能においては

弟に分があったようで

兄としてはそれが面白くない。

俗に言う『賢弟愚兄』の走りか。

2012年1月 9日 (月)

ただいま読書中です

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断続的にアップしている

『三国志に見る名言』のために

資料として読んでいます。

もうしばらくお待ちください。


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